3年地学 暦(こよみ)を科学する3
3年 組 番 ( )
時刻を定める
一日を重ねていくことにより、逆に、一日を細分していくとき、時刻という概念が生まれる。
人間の長い歴史の大部分を通じて、時刻とは、昼夜をそれぞれ数個に区切っただけの単純なもの単純なものであった。
日を細分する
こよみの基本単位が一日で、これが何個か集まって一週とか、一ヶ月とか、一年とかがつくられていることは、これまで見てきたとおりである。
逆に一日を、もっと細かく区切っていくと時刻という概念が生まれる。人間の文明が発達するのにともない、こよみが洗練されていったように、時刻も文明の発達とともに精密になっていった。
自然界には一日を数等分するくらいの、ほどよい周期というものは意外と見当たらない。
一日の中に、適当な周期現象は見出されないが、適当な節目はある。たとえば、もっとも顕著なものに日出、日没、それより目立たないものに、太陽の正中がある。
このように、太陽の出没を一日の細分、つまり時刻のための節目とすることは、古代からの洋の東西を問わず行われた。
太陽暦を発達させたエジプトにおいては、日出から日没まで、日没から日出までを、それぞれ一二分する時法が西暦紀元前三〇〇〇年に、すでに行われた。
赤道をのぞき、昼の長さが季節によって異なる。したがって、エジプトのこの時法では、時刻の一単位の長さは季節により異なる。しかし、どこの地方でも初期には、正確な時計をもたないので、これと同様の時刻を用いた。また、これで日常生活も、あまり困ることはなかった。
不定時法と定時法
日出、日没を基準とし、各時刻の間隔が一年を通じて一定でないような時法は「不定時法」とよばれる。これに対し、一日が等分されるような時刻からなる時法は、「定時法」というが、バビロニアでは、すでに西暦紀元前八世紀には行われていた。天文観測のために用いられたもので、一日は一二の時間単位からなっていた。つまり、今の二時間が一単位であった。
ギリシアでは、エジプトとバビロニアの時法を合わせた一日二四時間制の定時法が確立され、天文用に用いられた。
ローマの時法は未熟で、昼夜を、それぞれ四つに分けるだけの不定時法だった。この時法は、中世ヨーロッパを通じて踏襲された。そして、時報は教会の鐘によって庶民に知らされた。
ルネッサンスの時代になって、他の文芸の復興とともに、まずイタリアで、ギリシアの定時法が復活する。やがて、ガリレオによって、振り子の等時制が発見されると、この原理を応用した振り子時計が作られ、正確な二四時間制の定時法の時刻制度が、ヨーロッパの市民の間に次第に浸透していった。
日本の時法
偶然の一致か、中国でも日本でも、古くから一日を一二に分けることが行われていた。もとは、日出、日没を基準にした不定時法であった。
これに十二支を当て、真夜中を子(ね)、日出を卯(う)、真昼を午(うま)、日没を酉(とり)などという、江戸時代まで用いられたよび方も、大化の改新(西暦645年)ごろ、すでに行われていた。
定時法は、主として天文観測のために用いられ、一般には不定時法を用いた。ただし、暦算においては、不定時法は不便であるから、ずっと定時法を用いた。
十二辰刻
定時法においても、時刻のよび名は十二支であった。これを「十二辰刻(じゅうにしんこく)」と称し、それの細分については、時代により変化したが、平安時代に、宮廷の年中儀式や制度などを定めた「延喜式(えんぎしき)」によると、それぞれの辰刻は四刻に、各一刻は一〇分に分かれていた。つまり、一辰刻はいまの2時間、一刻は30分、一分は3分ということになる。
刻は一刻から四刻まであり、三刻が真ん中になる。
たとえば、定時法の子(ね)の辰刻(しんこく)は
、午後11時から午前1時までであり、子(ね)三刻が真夜中である。草木も眠る丑三つ時(うしみつどき)は、丑(うし)の辰刻の三刻で、午前2時である。
注意しなければならないのは、不定時法でも十二支のよび名が用いられたが、その場合の子(ね)の刻は、午前〇時にはじまって午前二時に終わり、以下同様であった。定時法とは、それぞれ平均一時間ズレていた。
おやつの語源
時刻を知らせるのに、つぎのような数の太鼓や鐘を打ち鳴らすことが行われた。中国からわったものらしいが、なぜこのような不思議な打ち方をするのかは、よくわかっていない。
子は九、丑は八、寅は七、卯は六、辰は五、巳は四、午は九、未は八、申は七、酉は六、戌は五、亥は四。
同じ数が一日二回ずつあるので、私たちが今日、午前六時、午後六時とかいうのと同じように、明け六つとか、暮れ六つとかいった。
六つがそれぞれ日出、日没に当たっていた。
”お江戸日本橋七つ立ち”の七つは、薄明に先立つ二時間ぐらい前ということで、まだ真っ暗なうちの出立であたろう。”おやつ”は「お八つ」であり、昼八つ(半)のころに出される間食をいう。いまの午後三時ごろ当たり、現在でも”お三時”といういい方をする。
十二支のよび方の名残りは、真昼を表わす正午、その前と後を表わす午前、午後という言葉に見られる。
定時法の制定
今日、日本で私たちが使っている二四時間の定時法は、明治六年に太陽暦と同時に採用されたものである。ただし、このときには定時法とはいえ、真太陽時によるものであり、また標準時という概念はなく、それぞれの都市での真正午を、正午としていた。
これを、各都市における平均太陽時に改めたのは明治一二年、さらに、統計一三五度の子午線における平均太陽時を日本標準時とする現行の制度になったのは、明治二一年一月一日からである。

【参考文献】
ブルーバックス B−583 暦の科学 “時”を読む基礎知識 山崎 昭 久保 良雄著 講談社